2016年06月28日
中上やマルケス語る
帝京大の田村さと子教授
新宮出身

 帝京大学外国語学部教授で詩人の田村さと子さん(新宮市出身)が26日、熊野市文化交流センターで「文学の扉」をテーマに講演した。受講生約90人を前に同級生だった芥川賞作家中上健次(1946~1992年)や親交のあったノーベル賞作家ガルシア・マルケス(1928~2014年)との思い出などを語った。

■「健次君」の思い出



 旧千穂小学校、緑丘中学校、新宮高校と中上と同じで、「健次君」と呼んでいた田村さん。中上は作家になってから暴力的なイメージもあったが、「小学生のころは細くて青い顔をしていました。借りてきたネコのようにおとなしかった」。

 新宮にいるとの伝説があった天狗の住み家について田村さんは「全龍寺のイチョウ」、中上は「春日のマツ」と互いに主張して譲らなかったという。「他の地では触れることのできない文化の中で育ったと思う」。

 中上は、話を膨らませることや歌が上手。大人になってからは相手の疲れなど気にせず酒を飲みながら延々と話していたという中上は「新宮は文学病がまん延している」と話していた。田村さんは、自分が文学の道を志すようになったのは新宮・熊野に生まれたことが要因と分析した。

■マルケスの作品



 マルケスと親交があった数少ない人物として知られている田村さん。付き合いが始まったきっかけは、ラテンアメリカ文学を研究していた田村さんに中上が「マルケスに会わせてほしい」と頼み、連絡をとったことだった。

 20世紀の文学に革命を起こしたと言われるマルケス作品。マジックリアリズムとも呼ばれ、大半の読者に作品の世界が空想と思われていたが、マルケスは「現実に根差している」と主張していた。その事実を確かめたいと田村さんは小説の舞台であるマルケスの古里コロンビアを10年かけて歩き、『百年の孤独を歩くガルシア=マルケスとわたしの四半世紀』を出版した。

 マルケスは作品で「鏡の役割をしたい」と話し、現実をより深く理解してもらおうと作品を書いていたという。田村さんは「日本文学の流れの真反対の性格を持っている」と彼の作品を評した。

 講演の最後にはマルケスのほか、チリの詩人のガブリエラ・ミストラルやパブロ・ネルーダが自分の作品を朗読する貴重なテープを流した。

■飛鳥の池田家



 田村さんの母の出身は熊野市飛鳥町大又にあった大山林家、池田家だった。高い石垣に囲まれた屋敷には、テニスコートや果樹園もあった。おじにあたる三代目・池田忠寛は、新宮の西村伊作や玉置酉久とともに理想郷「黎明が丘」(御浜町志原)の建設に関わっていたことなどから、警察に反社会的な人物とみなされ尾行されていたという。

 「池田家の人々は権力に屈しない反骨精神がありました」と田村さん。正義感や平等心が強く、新しいもの好きだったと分析した。屋敷の果樹園はお腹がすいた人は誰でも自由に入って食べて良かったというエピソードも紹介した。池田家の血を引く田村さんも、かつてチリで起きたクーデターで政治犯として捕らえられた知人らを救う活動に協力していた。

■中上ゆかりの地巡る



 田村さんはこの日、熊野市教育委員会主催の平成28年度市民大学開校式で講演した。前日には、熊野市文化財専門委員で作家の中田重顕さんの案内で熊野市内にある中上ゆかりの地を巡った。田村さんは来年中には中上との思い出などを盛り込んだエッセー『新宮物語(仮称)』を出版する予定で、取材を兼ねての訪問だった。中上が一時暮らした新鹿の家や作品に登場する波田須の桜の木などを見て回った。

(2016年6月28日付紙面より)

中田重顕さんの案内で中上健次ゆかりの地を巡る田村さと子さん=25日、熊野市